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最高裁判所第二小法廷 昭和61年(オ)944号 判決 1989年9月08日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小見山繁、同河合伶、同小坂嘉幸、同川村幸信、同山野一郎、同弥吉弥、同江藤鉄兵、同富田政義、同片井輝夫、同伊達健太郎、同竹之内明、同加藤洪太郎、同華学昭博、同仲田哲の上告理由について

一  本件においては、被上告人の包括宗教法人である日蓮正宗(以下「日蓮正宗」という。)が上告人に対してした僧籍剥奪処分たる擯斥処分(以下「本件擯斥処分」という。)について、上告人が被上告人に対し、本件擯斥処分は日蓮正宗の管長たる地位を有しない者によってされ、かつ、日蓮正宗宗規(以下「宗規」という。)所定の懲戒事由に該当しない無効な処分であるとして、上告人が被上告人の代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求めている。

二  当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係に関する訴訟であっても、宗教団体内部においてされた懲戒処分の効力が請求の当否を決する前提問題となっており、その効力の有無が当事者間の紛争の本質的争点をなすとともに、それが宗教上の教義、信仰の内容に深くかかわっているため、右教義、信仰の内容に立ち入ることなくしてその効力の有無を判断することができず、しかも、その判断が訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものである場合には、右訴訟は、その実質において法令の適用による終局的解決に適しないものとして、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」に当たらないというべきである。その理由は、被上告人・上告人間の当裁判所昭和六一年(オ)第九四三号事件の判決において詳述しているとおりであるから、これを引用する。

三  これを本件についてみるに、原審の適法に確定するところによれば、要するに、日蓮正宗の内部において創価学会を巡って教義、信仰ないし宗教活動に関する深刻な対立が生じ、その紛争の過程においてされた上告人の言説が日蓮正宗の本尊観及び血脈相承に関する教義及び信仰を否定する異説であるとして、日蓮正宗の管長阿部日顕が責任役員会の議決に基づいて上告人を訓戒したが、上告人が所説を改める意思のないことを明らかにしたことから、宗規所定の手続を経たうえ、昭和五六年二月九日付宣告書をもって、上告人を宗規二四九条四号所定の「本宗の法規に違反し、異説を唱え、訓戒を受けても改めない者」に該当するものとして、本件擯斥処分に付した、というのである。

そして、本件においては、上告人が本件擯斥処分によって日蓮正宗の僧侶たる地位を喪失したかどうか、すなわち本件擯斥処分の効力の有無が被上告人の代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求める上告人の請求の前提をなし、その効力の有無が帰するところ本件紛争の本質的争点をなすとともに、その効力についての判断が本件訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものであるところ、その判断をするについては、上告人に対する懲戒事由の存在、すなわち上告人の前記言説が日蓮正宗の本尊観及び血脈相承に関する教義及び信仰を否定する異説に当たるかどうかの判断が不可欠であるが、右の点は、単なる経済的又は市民的社会事象とは全く異質のものであり、日蓮正宗の教義、信仰と深くかかわっているため、右教義、信仰の内容に立ち入ることなくして判断することのできない性質のものであるから、結局、本件訴訟の本質的争点である本件擯斥処分の効力の有無については裁判所の審理判断が許されないものというべきであり、裁判所が、被上告人ないし日蓮正宗の主張、判断に従って上告人の言説を「異説」であるとして本件擯斥処分を有効なものと判断することも、宗教上の教義、信仰に関する事項について審判権を有せず、これらの事項にかかわる紛議について厳に中立を保つべき裁判所として、到底許されないところである。したがって、本件訴訟は、その実質において法令の適用により終局的に解決することができないものといわざるを得ず、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」に該当しないというべきである。

四  以上のとおり、本件訴えは不適法として却下を免れないというべきであり、これと同旨の原審の判断は、結論において正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、ひっきょう、右と異なる見解に立って原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島 昭 裁判官 奥野久之)

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